この記事にたどり着いてくださったあなたはきっと、
- 日常生活や進路選択において、親の意見に左右されがちだ
- 親にどう思われるのかがこわくて、自分の本音をなかなか話せない
のどちらかかなと。
実はわたしも、ちょっと前までこういう悩みを抱えていたんです。
進路選択においても、自分がやりたいことにおいても、いつも親の目線や世間体を気にしてばかりだった。
「自分の意思」なんてほとんどなかったようなもんだし、あったとしても気づかないふりしてそっと隠して生きていた。
今思えば、わたしの人生なのに、まるで親の人生を生きているようだった。
今から、過去のわたしの悩みや葛藤をぜんぶ晒けだして、当時のわたしが考えていたことや、「自分の人生を生きる」ためにわたしが変わったきっかけを書いていきます。
いま悩んでいる人の心にすこしでも届いたら、幸いです。
目次
「両親の期待に応えるため」に生きていた。
教育熱心な両親のもとで育った。
わたしの父親は高校教師、母親は元小学校教師。
そのこともあって、家庭環境はかなり厳しめだった。
例えばこんなルールがあった。
- 教育系以外のテレビや漫画やゲームは、基本的に禁止
- 高校受験勉強を始める前までは、21時30分までには就寝しなければならなかった
当時、よく反抗することなく従っていたなと思う。
ちなみに誤解されないように言っておくけど、紆余曲折乗り越えたうえで現在のわたしが在ると思ってる。
だから、厳しい環境下で育てられたことを決してマイナスに捉えているわけじゃないんだ。
むしろ今では、ありがたかったと素直に思っている。
両親の手ほどきで習い始めたピアノ。
わたしは4歳のころからピアノを習っていた。コンクールに出たりとけっこう本格的にやっていた。
小学生の時は、「週2~3で、学校終わりに片道2時間かけてレッスンに通う」というハードな日々を送っていた。
毎日ピアノの練習を頑張っていると、
逆に、練習をサボると
と叱責されることもあった。
だから、とにかく褒められたくて、その日の自分のモチベーションの有無にかかわらず毎日たくさん練習した。
中学の時、自分の本当の気持ちに気づいた。
中学に入ってから、部活に入ったことと、だんだん勉強も忙しくなってきたことで、ピアノの練習に割くことができる時間がどうしても少なくなった。
わたしは将来ピアニストになりたいわけじゃない。ピアノの先生になりたいわけでもない。
それに、コンクールで評価されるために、高い演奏技術を身につけるために、ピアノをやりたいんじゃない。
もっと自分の思うがまま、好き勝手、楽しく弾きたい。
それに、今は部活の方が頑張りたい。大会で勝ちたいもん。
行きたい高校があるから、勉強にも力を入れたい。
全部こなすなんて無理があるし、習い事としてお金を払ってまでピアノを続けたいとは思わないな…。
そう、当時のわたしはもう、「ピアノのレッスンに通うのをやめたい」という自分の本当の気持ちに気づいていた。
部活と勉強の合間にピアノを練習するのは、当時のわたしにとってかなり苦痛だった。
ピアノのことを考えるまでの精神的な余裕がなかった。
短い時間の中で「上手くなるために練習しなきゃ」と義務感にさいなまれる感覚が好きじゃなかった。
でも、両親には「自分の本当の気持ち」を言えずにいた。
両親の前でそれとなくこんな感じの発言をすると、
と、「続けることがあたりまえ」という言葉がいつも返ってきた。
当時のわたしは、それ以上何も言い出せずにいた。
本当は、はっきり「もう、ピアノやめたいんだけど。」って言いたかった。
でも当時のわたしは、自分の本当の気持ちを言葉にして親に伝えたら、「せっかく今まで何年もかけて育ててきたのに、何で今更そんなこと言うの」って失望されるんじゃないかって思っていた。
両親はわたしが「ピアノを頑張っていること」を望んでいたから、親に悪く思われるのが嫌で、こわくて、言い出せなかった。
ピアノに限ったことではなく、勉強でも何事においても、わたしはいつもこんな考え方だった。
とにかく親に褒められたいっていう思いがつよかった。
親の期待通りに生きることが、わたしにとっての美徳だった。
自分の気持ちを我慢していたら、どうしようもなく苦しくなった。
結局わたしは、中学の間と高校に入ってから、ずっとピアノを習い続けていた。
本当は今すぐピアノをやめたかった。
勉強を頑張りたかったし、高校の友達とも遊びたかった。
でもやっぱり親の期待を裏切りたくない気持ちが1番だったから、「自分はどうしたいのか」ということをあまり考えないようにしていた。
「自分の気持ちに嘘をつきたくない」という気持ちと、「両親の期待を裏切りたくない」という気持ちの間で揺れ動いて、葛藤しつづけていた。
今思えば、ずっと悩んでたし我慢してたんだよね。自分の気持ちに蓋をしてた。
でも、我慢にも限界があった。
そもそも、「自分が本当にやりたいと思っていないこと」を続けるということが、自分にとってかなり大きなストレスだったんだ。
ピアノ自体が嫌いだったわけじゃなくて、自分の思うままに楽しく好き勝手にピアノを弾くことは好きだった。
だから、習い事として強制的に続けることで、好きなはずのピアノが嫌いになってしまうんじゃないかということも不安でしかたなかった。
勇気を出して両親に「自分の本当の気持ち」を伝えた。
このまま自分の気持ちに嘘をついてピアノを続けても、自分にとって良いものは何も生み出されないんだろうな。
例え親が望んでいるとしても、これじゃ自分で自分の首を絞めているだけだ。
こう思い立ったわたしは、高校2年のときに両親に、「ピアノを習うのをやめたい」と勇気を出して伝えた。
無論、両親が「わかったよ」と二つ返事で言ってくれるわけもなく、反対された。
4歳から17歳まで13年間続けてきたんでしょ。今やめたらこの13年間もったいないじゃない。
と何回も言われた。
でも、わたしの中で「やめたい」っていう意思がぶれることはなかった。
反対されても自分の気持ちが変わらないってことは、それだけ自分の中で覚悟が強いという証拠だと思っていた。
だから反対されるたびに、両親に自分の気持ちをしっかり話して伝えた。
結局わたしは高2の冬に、ほぼ1日も休むことなく13年間続けてきたピアノを、やめた。
反対されても、気持ちが変わらないほどの強い覚悟が醸成されていたからこそ、誰の言葉にも左右されることなく、後腐れなくピアノをやめることができたんだと思う。
傍から見たら、両親の期待を裏切ることになってしまったように思えるかもしれない。
でも、自分の気持ちにうそをついてまで両親の期待に応え続けるのはしんどいし、いつかきっと自分が潰れると思ったんだ。
それに、我が子がしんどい思いをしながら生きていることって、まわりまわって結局は両親にとっても不幸せなことなんじゃないかなって思った。
その後は、「ピアノをやめて、大学受験1本でがんばりたい」って自分で決めていたからこそ、腹をくくって勉強に力を入れることができた。
悲願だった第一志望校の合格も果たした。
今わたしが思うこと。
「自分の人生を生きる」って簡単なように聞こえるかもしれないけど、実際はそんなに簡単なことじゃない。
悩むことのほうがたくさんある。
あの時に、勇気を出して親に本当の気持ちを伝えてよかったと思っている。
一時反対された時も、「自分はどうしたいのか」という思いを貫いてよかったと思っている。
わたしは、親の期待に応えることしか見えてなくて、自分の気持ちに気づこうとしなかった。
ちょっと気づいていたとしても、そっと隠して、見て見ぬふりをしてきた。
でも見て見ぬふりをしつづけるのは、疲れるし、苦しいんだ。
この記事にたどり着いてくれたあなたなら、充分分かっているはず。
自分の気持ちに蓋しないで。自分の本当の気持ちと向き合ってみて。
「他人の人生を生きる」ことで、あなたは本当にしあわせに生きることができるのか?ってことを考えてみて。
いろんな考え方があると思うけど、わたしは、「自分で決める」ということは責任は全部自分で背負っていくということで、全部自分のせいになるからこそ、その瞬間瞬間を本気で生きることができると思うんだ。
あなたが本気で思っていることがあるなら、勇気を出して伝えてみてほしい。
その気持ちが本物なら、反対されても何を言われても、「何くそやってやる」って思い直せるはず。
そこまで強く思えているのであれば、あとは行動にうつすだけ。わたしはいつでも応援しているから。
いろいろ偉そうに書いてきたけど、わたしもまだまだこれから。
わたしなりに葛藤しながら生きてきた今までの人生が、誰かの背中を押していたり前向きに考えられるきっかけになっていたらしあわせだ。
そんなことを思いながら、これからも1日1日を大切に生きていきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ともちん
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